茅ヶ崎恵泉教会牧師 坐間 豊
みことばの贈り物(1)2007年8月
お元気ですか?4月に着任して早や4ヶ月。今月から「みことばの贈り物」を皆さまにお贈りします。ご一緒に聖書のみことばから励まされましょう
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
(新約・ヨハネによる福音書15章5節)
今から17年前、バンクーバーの神学校に学んでいたときのことです。ある課題論文の作成が追い込みとなり、提出期限の朝を迎えました。
資料や下書きのメモをいっぱい広げ、前の晩からの徹夜作業にめどがつき、朝日が窓から差し込んできました。部屋のドアを開けて、当時4歳の息子が寝ぼけまなこで入り込んで来たのに気が付かなかったのは、気が集中していたからでもあり、徹夜疲れで気が回らなかったからでもありました。これで、最後の仕上げにかかって、印刷、製本をし、お昼までには提出できる。期限を守れるぞ。
と、目の前のワープロの画面が消えました。?、………???、!!!
足元を見て、びっくり。息子が机の下に入り込んでいて、コンセントを抜いて手に持っています。一瞬、頭の中が真っ白。椅子から飛びおり、再びコンセントを差し込みます。しかし、さっきまでの書きかけの画面には戻りません。当時の機械は、入力したデータはフロッピーディスクに記憶させておかなければ、電源を切ると共に失われてしまうのでした。そうです。せっかく打ち込んだ論文の何ページもが、跡形もなく消えて無くなってしまいました。
この後、残された時間を使って涙の出るような作業をしたのは、言うまでもありません。駆け込みで、締め切りに間に合うことは出来ましたが。
コンセントがつながっていないと、だめなのです。皆さまにも日常生活の中で、似たような経験がおありではないでしょうか?
だから、イエス様の語られた「私につながっていれば豊かに実を結ぶ」というお言葉が、身にしみて分かります。イエス様のお話が分かり、その教えに従って歩み、信仰を喜び、分かち合えるのも、私たちの心がイエス様につながっているからです。「心がつながる」とは「信仰によって」ということです。聖書の知識が増し加わることと、日々イエス様を感謝できることとは、同じではありません。流行歌のように讃美歌に慣れ親しむことと、イエス様を心の底から喜ぶこととは、似て非なることです。信仰は確信として揺るぎない平安を伴い、信頼なのでまごころからの喜びに満たされます。また、主に信任される証し人の輝きです。
それにしても、「実を結ぶ」という約束は、つながっていてこそです。それはこの約束を聞く今、あなたがイエス様につながっていることが大事です。いつ実を結ぶかは、幹であり木であるイエス様が決めて、その時を与えて下さいます。イエス様につながっているので実を結ぶ時の訪れも分かるし、それまでの私たちの歩みも豊かに生きてきます。だから、いつその時が来ても大丈夫なように、「今」イエス様につながっていて欲しい。そう、聖書は勧めているのです。
これは何という祝福でしょうか。たとえ遅々としてなかなか深まらないような信仰生活でも、とぎれとぎれのような教会生活でも、活動的な奉仕は出来ないと思っていても、今イエスにつながっているならば神さまは分かって下さるのです。しかも、それは昨日までの私を問うことなく、むしろ、これから共に歩むことを強く願って、「今、あなたは私につながっていなさい」とイエス様が私を招いて下さるからなのです。「あなたがたはその(=私の)枝」と呼びかけて下さる主の言葉を聞いて、私たちは喜んで主につながり、祝福へと招かれるのです。
このイエス様につながることは、クリスチャンとして教会の兄弟姉妹の交わりをご一緒に歩むことです。礼拝と共に、祈り合い、執り成しにおいても、私たちは一つです。主の体である教会を信じるとき、一人一人は決して孤独でも無力でも絶望的でもなく、感謝と希望を共にする、かけがえのない仲間なのです。
ですから、何でもご遠慮無く、どうぞ牧師におっしゃって下さい。私は茅ヶ崎恵泉教会に新しく来てまだ不慣れで覚束ないですけれども、お会いしていない方々にもどなたにも、喜んで、イエス様につながる祝福のためお力になりますから。