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みことばの贈り物

茅ヶ崎恵泉教会牧師 坐間 豊

みことばの贈り物(5)2007年12月

12月はキリスト教の雰囲気がいっぱいです。クリスマスが来るからです。目に美しく、耳に楽しく、口に美味しい季節です。でも、その意味は………? 聖書が明らかにしてくれます。

光は暗闇の中で輝いている。
その光は、まことの光で、
世に来てすべての人を照らすのである。

(新約・ヨハネによる福音書1章から)

 「北の国から」をかつてご覧になった方も多いでしょう。父と子どもたちが選んだ北海道・富良野での手作りの生活と人間としての成長が20年にわたって描かれた、ドラマでした。

 父親が子どもたちを残して出稼ぎに行きました。お正月を前に帰るので、お土産を買いに東京のデパートへ行きます。クリスマスセールの真最中で、子どもたちは高価なコンピューターゲームに群がっています。田中邦衛が演じるゴム長靴の父親は、古典的な「サンタの赤い長靴」(中にお菓子が詰まっている)を手に、戸まどい気味に立っている ― そんな場面がありました。

 クリスマスの華やかさ、にぎやかさは、いま私たちの周りにいっぱいあります。その楽しみに打ち興ずる人々の後ろ姿を見ながら、本来この日の中心になる救い主イエス・キリストは、どう思っているのでしょう?どうも「北の国から」の父親の姿に、キリストがダブって見えてしまいます。イエス・キリストは救い主としてお出で下さったのですが、人々はみなこの方には気付かずに、それぞれ自分勝手な楽しみの中にいる。それは楽しみばかりではありません。苦しみだったり、痛み、悲しみであっても、同じです。この世界には救い主イエス・キリストが来られたのに、なかなか気付くことの出来ない難しさがあるのですね。みんな自分が中心になっているからでしょうか?

 さて、聖書は、救い主イエス・キリストの誕生を語るのに、壮大なドラマを描いて見せます。

 まず長い序章がありました。人間は神様に愛されて生まれてきたのに、神様に背き、自分勝手な世界を作り上げて来ました。そっちへ行ってはダメだよ、と神様に言われながら、どんどん行ってしまいました。このあやまちを気付かせ警告する人々もいましたが、受け入れられません。これが旧約聖書の全体です(イエス様はこの全体を、「ぶどう園と農夫」というたとえ話に描いています。マタイによる福音書21章33節以下)。

 その上で、神様がその愛をもって直接に人間の歴史に入って来られたのが、御子イエスの誕生です。クリスマスです。

 「神は、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」(新約・ヨハネによる福音書3章16節)。

 「恐れるな。私は、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった。」(新約・ルカによる福音書2章10,11節)。

 「この子は自分の民を罪から救う。」(新約・マタイによる福音書1章21節)。

 聖書は、この救い主が来られたとき人の世は暗闇に包まれていた、と言います(冒頭のヨハネによる福音書)。どんなに繁栄していても、神様を忘れた世界は闇の中なのです。ちょうど、世界が創造されたときには、混沌としていたように(創世記1章2節)。そこに神の御子イエス様は、光となっておいでになられました。ちょうど、一日目に光が創造されたように(創世記1章3節)。そうです、クリスマスは新しい世界の創造なのです。

 光は暗闇を退けます。不安や恐れ、あやまちや不正、罪を退けます。光は人々を照らし明るくします。希望を、安らぎを、勇気を、一致をもたらします。この光があなたにも届きます。

 クリスマスには、あなたを新しく造りかえる救い主に気付きましょう。「北の国から」の父親が最後に言ったように、「金や品物ではなくて、のこるものがある」のです。神様の愛です。

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