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みことばの贈り物

茅ヶ崎恵泉教会牧師 坐間 豊

みことばの贈り物(8)2008年3月

先日、一人暮らしの母に、プランターと土と種を買いました。暖かくなったら野菜を育てたい、と言うので。春になったら芽が出、葉が茂って、花が咲きます。蒔かれた種が実を結ぶのです。みことばも私たちの心に蒔かれて、大きく育っていきます。

…主なる神は彼の苦痛を救うため、とうごまの木に命じて芽を出させられた。とうごまの木は伸びて、ヨナよりも丈が高くなり、頭の上に陰をつくったので、ヨナの不満は消え、このとうごまの木を大いに喜んだ。ところが、翌日の明け方、神は虫に命じて木に登らせ、とうごまの木を食い荒らさせられたので木は枯れてしまった。日が昇ると、神は今度は焼け付くような東風に吹き付けるよう命じられた。太陽もヨナの頭上に照りつけたので、ヨナはぐったりとなり、死ぬことを願って言った…。

(旧約・ヨナ書4章6〜8節)

 ヨナという名前の主人公が登場します。それで、ヨナ書です。

 最初、神様に大きな仕事を命じられますが、いやがり、逃げてしまいます。勝手なことをするので、乗った船から海に放り出され、大きな魚に飲み込まれて三日三晩。ようやく助かると、「やっぱり神様の言うことを聞かなければ」、と思い直します。

 もともと彼に与えられた仕事とは、悪がはびこり不法がまかり通る大都会のニネベに行って、人々の心を改めさせることでした。

ヨナは出直してニネベの町へ行くと、「このままでは、あと40日でこの町は滅びるぞ」と、一日中叫んで回りました。すると、町の人々も王様も、みんなハッと目が覚めたように心を入れ替え、反省し、神様を信じて改まるのでした。

 これを見た神様は、人々が悪の道から離れのを喜び、思い直して、町を滅ぼそうなどと言う考えは「取りやめ」としました。

 ヨナ、良いことができて、よかったね!

 しかし、ここで彼は穏やかでなく、むくれるのです。

「そうだろうと、思ってたんだ。だから嫌だって言ったんだ。神様、あなたはどんな厳しいことを言ったって、最後はこんな風に優しくなっちゃうんだから。言われたまま一生懸命やった僕は、損したみたいなもんだ。だから、みんなが言うことを聞かなくって災いが来てくれたほうが、僕としては労力が報われてうれしいんですけどね。」

 あぁ、ヨナよ。何という自分勝手、何という屁理屈。

 ヨナは都を離れて行き、再び神様に背を向けます。行った先では、熱い日射しがじりじりとヨナを照らし、苦しめました。

 神様は、上の囲みに引用したように、とうごまの芽を出させ、その木を大きく育てて葉を茂らせ、ヨナを暑さから守られるのでした。たった一晩で、そうなりました。ヨナ、よかったね。

 ところが、翌日、神様はそのとうごまの木に虫を付かせては、枯らせてしまうのです。日射しを受けてヨナはぐったりし、怒り、「死にたい」などと神様にわめきます。「あのとうごまさえ有ればなぁ。」だけど、ヨナ、あのとうごまは君が育てたのでもなく、君は自分で労して暑さをしのいだわけではないのだよ。

 「お前にとってあのつかの間のとうごまがそれほど大切なように」、と神様は言います。「あのニネベの町の人々は、私にとってかけがえのない愛すべき一人一人だ。彼らが警告を聞き入れて過ちを認め、心を入れ替えて、滅びの一歩手前で立ち帰ってくれることほど、うれしいことはない。」

 このように、旧約聖書の中のこの小さな書物は、ヨナという身勝手な人物を通して、神様の大きな愛を描き出しています。神様には人々と同じく、ヨナも大事です。その気ままさ、自分勝手さも、彼を用いようとする神様には何の不都合でもありません。なるほど、ヨナは人間的にも信仰的にも決して完成された人物とは言えないかもしれません。でも、失敗という経験を経ることで神様の大きな愛を知り、神様にお役に立つ歩みへ促されていったのですから、神様は彼が変わっていくことを信じていたのです。

 みことばにより私たちも主の愛の証しへ促されます。願わくは、神様の大きな愛の前にいつも立ち帰る私たちでありますように。

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