現在位置:

みことばの贈り物

茅ヶ崎恵泉教会牧師 坐間 豊

みことばの贈り物(16)2008年11月

「○○の秋」と言います。一年の中で、何かが充実する時期だからでしょうか。スポーツ選手は大切な試合に向けて体力体調を仕上げ、最高の状態で戦いますね。私たちは与えられたいのちを豊かに輝かせるのに、どのような目標を持っているでしょうか?冬になる前に輝きましょう!

競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなた方も賞を得るように走りなさい。競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を得るために節制するのです。

(新約・コリントの信徒への手紙一9章24〜25節)

なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。
(新約・フィリピの信徒への手紙3章13〜14節)

 これらの文章(「手紙」の一部です)を書いたのは、イエス・キリストの使徒であり、初代教会最大の伝道者パウロです。この人は、ユダヤ人ではありましたが、現在トルコにあるギリシャの植民市で生まれました。

 当時は、地中海沿岸にローマ帝国が栄え、ユダヤ人も各地に広がっていました。そして、広くギリシャ・ローマ文化が普及していたのです。後に近代オリンピックとなっていく運動競技はその例です。大きな町に円形競技場がありましたし、大会が開かれて人々は大いに沸いたのです。

 パウロも、こうした文化に触れていました。彼が手紙を書いて送ったコリントやフィリピという町は、ギリシャにあって栄えていた町です。運動競技を話題にしたら誰でも膝を乗り出してきて彼の言うことに耳を傾ける、そんな状況でした。そのようにパウロは聴衆の心を開き、そのメッセージを届かせるのにたいへん上手でした。今ならさしずめ、若い人にはゲームやアニメの話題、大人には雇用や金融の不安、食品汚染や年金問題でしょうか(明るい話題であって欲しいものです)。

 しかし、パウロは人に上手に話を合わせるだけのお調子者ではありません。彼が聞く人の心をとらえてぜひ語りたいことは、「運動選手が(1)賞を目指して(2)全力で備え(3)走る」ように、「私たちも(1)正しく目標を目指し(2)全力で備え(3)走って行こう」ということなのです。

 私たちは(少なくともその多くは)、選ばれた運動選手ではありません。でも、「私の人生」というコースを走り出した私たちです。一人一人は、まぎれもなく「与えられたいのちを前に進める者」です。同じ走るにしても、いつまでも地面を這いつくばるようにするではなく、上に向かって舞い上がるように進みましょう、と勧めているのです。

 今年で97歳の現役の医師、日野原重明先生がこんな言葉を紹介しています:「いのちに齢を加えるのではなく、齢にいのちを注ぎなさい。」
つまり、長生きがいいといっても、生きている時間が有意義になるような「いのちの豊かさ」に満たされていることこそ大事、というのです。与えられた時間を有意義に過ごせば過ごすほど、残された時間(誰でも今生きているのは残された時間なのです!)が貴くなってくるのです。

 しかし、充実とか有意義というのは、選び取って得られるものです。運動選手が賞を目指すことを最優先する場合、どうしても諦めたり断ったり、節制しなければならないことがあります。同じように人生の充実を期す人も、そのための節制がなければそれを達成できません。節制は第一のものを第一とし選び取る知恵と共に働いて、前向きな努力を生み出します。せっかくの時間を無為に過ごしたと気づくのは、手に入れたものがボロボロの腐ったもと分かった時です。それは第一のものを選ばなかった結果です。努力も報われませんが、節制も乱れたのです。節制を乱すのは、いわば邪念であり、迷いであり、意志の弱さ、誘惑です。

 パウロは「正しい目標=朽ちない本当に価値あるもの」を第一に選び取ったら、それを保ち続けるよう節制し、ひたすらに目標へ走ることを勧めます。目標は、私たちを愛して下さるイエス・キリストの「救い」です。節制は「信仰」。走るとは、「具体的に聖書を読み、神様を賛美し、心を入れ替えて祈り感謝する生活」です。ここに人生の充実があります。

このページの先頭へ