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みことばの贈り物

茅ヶ崎恵泉教会牧師 坐間 豊

みことばの贈り物(18)2009年1月

皆様、新年明けまして おめでとうございます。教会の暦では「新年」は2000の年アドベントから既に始まっていますが、このごあいさつも欠かせません。皆様のこの年の歩みの上に、神様のお守りと平安とを、心よりお祈り申し上げます。「丑年」となると、キリスト教の守備範囲ではないのですが、間違いなく、主の御年2009年が始まりました。

キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
(新約・コリントの信徒への手紙 二 5章17節)

 年が改まり、月が改まり、日が改まり、気持ちが改まって、「新しい」ことがとても素晴らしく思えます。特に、一月一日はそうですね。

 私はクリスチャンなる前、初詣に行ったことも、連れて行かれたこともありませんでした。父は私が教会に行くようになってからやはり教会に行き、洗礼を受けたのですが、そのずっと前から神社仏閣にはあまり関心がなかったようなのです。けれども、教会に行って変わりました。

 当時私が通っていた教会では、大晦日の夜中に「除夜祈祷会」を行い、元旦には「新年礼拝」を行っていました。大晦日の夜10時半から12時すぎまで教会に集まり、讃美歌を歌い、聖書が読まれ、メッセージを聞き、その年の思い出や感謝の証しが次々と語り継がれて、熱いお茶をいただき、感謝の祈りを合わせて深夜12時になろうという30秒前、牧師先生がすべてを制して一同静まり、「19××年よ、さらば」と告げられ、年が改まります。顔を上げ、「皆様、新しき主の御年19××年となりました、心からおめでとうございます」と、挨拶が交わされました。

 十数年出席していましたので、今でも、その光景は目に焼き付いています。家に帰ってひと眠り、起きては新年礼拝に行くのがお正月でした。あのころ何とも思っていませんでしたが、今思うと、牧師先生はクリスマスに続いて新年も結構大変なお働きだったのです。教会はクリスマスだけではありませんよ、と証しを立てておられたのだな、と思います。

 さて、聖書の大いなるメッセージは、「私たち人間が救い主キリストによって新しくされる」ことです。新しくなるなら、“それまで”と“それから”は違うのです。何がどう違ってくるのでしょう?外側が変わるのなら見て分かります。しかし、ある時を境に今までの自分とはまるきり違う人間になりたいと思う願望は、決して容姿や年令、環境といった「外側」についてだけのことではないでしょう。聖書は心に響くからです。

 聖書の語る「新しさ」について、ひとつ知っていただきたいことが、あります。「古さ」に対する「新しさ」の他に、人間が考えも求めもしなかった神様のみが与え得る「救い」を説明するのに、「新しい」と言うのです。それは驚きであり、発見であり、感動です。喜びであり、平安であり、感謝です。クリスマスの出来事が聖書から物語られたとき、天使が、「恐れるな。私は民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」と語った御告げを、聞きました(ルカによる福音書2章10節)。この出来事が聖書の言う「新しさ」です。時間の前後ではなく、神様が私たちにイエス・キリストを救い主としてお送り下さったことが、私たちを幸いにするのです。そして、「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者」とされるのです。私たちの中においでくださったキリストによって、恐れのない幸いな者と呼ばれるのであり、変えられ再創造された者となるのです。キリストの恵みによる新しさです。

 お正月は気持が改まります。しかし、真に私たちが改まるのは救い主イエス・キリストによるのです。元旦の朝になったから変わるのではなく、キリストの降誕を既に喜んだ上での元旦だから、この世の暦より先に歩まれるキリストに従って新しく歩んでいこう、と励まされるのです。どうぞ、皆さま、キリストによって日々新たにされてお過ごし下さい。

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