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みことばの贈り物

茅ヶ崎恵泉教会牧師 坐間 豊

みことばの贈り物(19)2009年2月

飛行機に乗りました。機内で映画を見るのは、多くのメニューから各人毎に自由に選びます。7年前には皆、一斉に同じものを見たのですが。感動的なシーンで涙を流す人の隣りで、コメディー映画にお腹を抱えて笑う人がいます。みんなバラバラ。でも、一つの狭い機内で隣り合わせ。

ダビデは言った、「彼は生ける神の戦列に挑戦して来たのです。
…獅子の手、熊の手から私を守って下さった主は、あのペリシテ人の手からも、私を守って下さるにちがいありません。」サウル王はダビデに言った、「行くがよい。主がお前と共におられるように。
(旧約・サムエル記 上 17章36節以下 より)

 ダビデは、旧約聖書に出てくる人物で、ここでは、まだ羊飼いの少年にすぎませんが、後には、イスラエル人の王様になります。

 そのきっかけとなったのが、外敵の攻撃により危機に瀕したサウル王を助けたこの場面です。この後、ダビデは勇敢にも隣国ペリシテの巨人兵士ゴリアテを、熊を追い払うための「投げ石」で倒したのです。

 分厚い旧約聖書の中でも、比較的知られている話だと思います。特に、ダビデ王は有能であるだけでなく信仰深かったので、その国が栄えただけではなく、後々までもイスラエル人が思い描く理想の指導者像でした。国が滅ぼされてしまってからは、祖国復興の希望がいつもダビデを思い起こして語られました。そして、失われた神様の祝福を回復して下さる「救い主」がこのダビデの子孫に現われると、約束され、待望されていきます。
その期待の中で、ダビデの子孫イエス様がお生まれになったのです。このことを、私たちは福音書にある「救い主の降誕」の記事に読むことが出来ます。

 そのように聖書が全体として描き出す神様のご計画はとても壮大です。 でも、今日の所のような一場面からでも、聖書の大切なメッセージを聞きとることが出来ます。それは何でしょう?

 羊飼いの少年ダビデが勇敢だったということでしょうか?自分の羊を獅子や熊から守れたから巨人のゴリアテだって大丈夫さ、とたかをくくる向こう見ずほど強いものはない、ということでしょうか?王は自ら前に進むのに勇気がなく、代わりに、この純真な少年を押し立てました。負けて元々、「窮鼠猫をかむ」のたとえもあるし…。イメージが豊かにふくらむ場面ですが、つきつめたら何が教えられるのでしょうか?

 冒頭の飛行機の場面にたとえると、見るべき番組がいろいろあるならば、映画を見て泣く人の隣でヘッドフォンをしながらおもしろおかしく笑う人がいても、納得できます。でも、同じものを見ながら、右隣の人は泣き、左隣の人は笑い、真ん中の私は…退屈で眠くなってしまった。これではあまりにも複雑な映画です。ふつうにはあり得ない、という気がします。優れた映画は案外、内容もストレートにシンプルです。

 ここで少年ダビデとサウル王とのやりとりから明らかになるメッセージも、実はそれほど複雑ではなく、むしろ明解です。要は、ダビデも王も「神の側に立った」ということです。神の側に立っていれば、恐れることは何もない、必ず守っていただける、ということです。

 状況はたしかに、王は劣勢に窮し、ダビデは勇敢です。しかし、場面全体を覆っているのは、神様に信頼し、神様に謙虚に従うならば、人間には不可能でも、神様は必ず守って下さる、というメッセージなのです。あなたもここに立ちましょう、と呼びかけるメッセージです。

 これは、ここだけの話ではありません。聖書全体を通じて、とうとうと流れる大河のようなメッセージです。聖書を開いて読まれるときに、ぜひこの流れに乗っていただきたい、と願っています。

 新しい年もはや一ヶ月が経ちました。春はまもなくです。何か新しく(改めて)始めてみようと思われるなら、ご一緒に聖書を読むことをお勧めします。教会の礼拝がいいです。どうぞ、この機会においで下さい。

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