茅ヶ崎恵泉教会牧師 坐間 豊
みことばの贈り物(24)2009年7月
今年の梅雨は、じめじめとした毎日が続きます(まさに梅雨ですね)。日々の皆様のご健康、平安を心よりお祈りしています。
今日はいきなり、政治学者の姜尚中さんの本『悩む力』から:
…悩みや苦悩は、意味のないことであり、価値などには一切関係の ない、「災厄」以外の何ものでもないように思える…。
しかし、本当にそうでしょうか。「悩む人間」「苦悩する人間」は ただ、運の悪い不幸な人間にすぎないのでしょうか…。
「悩むことは無意味・無価値・余計で、避けようとする風潮」に、姜さんは「ちょっと待って。人間はずっとまじめに悩んだからこそ、不運や試練や孤独に負かされないで来れたのじゃない?」
さて、旧約聖書にヨブ記の主人公、悩むヨブがいます。その呻き:
日ごとのパンのように嘆きがわたしに巡ってくる。湧き出る水のようにわたしの呻きはとどまらない。
恐れていたことが起こった。危惧していたことが襲いかかった。 静けさも、やすらぎも失い、憩うこともできず、わたしはわななく。
(旧約・ヨブ記3章24〜26節)
ヨブがこのように苦しんでいるのは、財産を襲われて失い、子供たちを襲われて失い、彼自身の健康も奪われ、苦しみで卒倒しそうなのです。しかも、彼自身には何の落ち度も間違いもなく、人物としてもまことに正しく、神を畏れる信仰者でありました。
人はときに何故、理由の分からない悩みを負わなければならないのでしょうか? 運が悪かったから? ― これが、ヨブ記のテーマです。
ヨブ記は聖書の中でも第一級のドラマだ、と思います。
始めは、「ヨブの信仰深さは、財産も家庭も豊かに恵まれているからでは?その幸せを失えば、たちまち神から離れて行ってしまうに違いない」と疑うサタンが、彼の幸いをつぎつぎに奪っていきます。結びは、そうした災難に悩むヨブへの神様の語りかけです:「人生の苦しみや災いを悩み続けるあなたと私は共にいる。」そして、サタンを退け、ヨブの繁栄を回復させます。
この枠組の中に友人たちが現れ、ヨブへいろいろ議論をしかけます。曰く、災いは神があなたを見棄てた証拠だから神を呪いなさい。曰く、理由無く苦難には会わない、自業自得なのだ、あなたは今まで偽善者だったのでは?曰く、あなたは人生が順境だったから神に忠実だっただけ、今や神に従う理由も義理もないでしょう?等々。
こうした友人たちの議論は、ヨブには慰めとなるどころか、「泣きっ面に蜂」のように苦しみを増し加えるだけでした。「真の友とは?」も隠されたテーマのようです。これらの議論に納得せず、自ら悩み続けたヨブだから、最後に神様の声を聞くことが出来ました。
今『悩む力』を目の前にしながらヨブ記をもう一度読みたいと思います。始めて読んだのは学生のときで、信仰を持つ前でした。苦難を負い苦難にもがいて歩む姿も、それが「信仰(求道)」によるならば、何という強い生き方だろう、と心惹かれました。「現実をありのままに受け取り、それがいかに醜く、またいかに厳しくとも、恐れず避けず、むしろ正視し真正面から勇気をもってそれと取り組む生き方を選ぶと、そのためには必要な忍耐や励まし、希望を与えてくれるのが、聖書の信仰。」こう教えられ、十字架と復活のイエス様を思い巡らしました。 私たちは今、悩むだけでなく、悩みの中に共に歩み、慰め、勝利をもたらす救い主を与えられています。苦難と共に感謝もあるのです。