茅ヶ崎恵泉教会牧師 坐間 豊
みことばの贈り物(27)2009年10月
10月は古来、別名「神無月」と呼ばれます。その由来は、八百万の神々が出雲の国にお出かけだから、と聞いたことがあります。キリスト教の神様は天地万物をお造りになられたただ一人のお方で、遍在(偏在ではなく)のお方です。つまり、私たちのように「ここに居るならあそこには居ない」という制約を受けておられません。被造物である場所に拘束されるお方ではありません。…要は、今月も私たちのイエス・キリストの父なる神様は私たちと一緒です!ホッ。
主よ、あなたは私を究め、私を知っておられる。
座るのも立つのも知り、遠くから私の計らいを悟っておられる。歩くのも伏すのも見分け、私の道にことごとく通じておられる。私の舌がまだ一言も語らぬ先に、主よ、あなたはすべてを知っておられる。前からも後ろからも私を囲み、御手を私の上に置いていて下さる。その驚くべき知識は私を超え、あまりにも高くて到達できない。
どこに行けば、あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。
天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます。曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも、あなたはそこにいまし、御手をもって私を導き、右の御手をもって私をとらえて下さる。
(旧約・詩編139編1〜10節)
今回は長い聖句ですが、秋の夜長に免じて、ゆっくり声に出してお読み下さい。この詩人は、神様の全知と遍在を喜び、みごとに歌い上げています。悠久の昔から創造主、神様はあなたをご存知でした!
小さい子どもが寝るときお母さんは耳元で子守歌をやさしく歌ってくれます。「暗くても大丈夫よ、神様が朝まで守ってくれるからね」と言って。「暗い中でも守ってもらえる」―なんて心強い言葉でしょう!
暗い夜だけではありません。明るいときも自信があって平気なときも、思い上がらずに神様が一緒、大丈夫と思えるのは、大事だと思います。幼い子どもにだけ、安心が必要なのではありません。
今はそんなことはあまり言わないのでしょうか。煌々と夜も明かりを灯し、夜中も地球の反対にいる人と会話が出来ます。どこも暗闇はなく、便利さに囲まれ、淋しさを紛らわすのは自由自在にできます。 いつの頃からでしょうか、ラジオの深夜放送が眠りを知らない若者や眠ってはならない深夜の運転手さんのものから、普通の人向けにもなったのは。夜中に愉快で楽しい落語や懐かい青春ヒットメロディーがかかると目が覚めてしまいます。
これやあれやと世間の話にとらえられ、休むことなく興味をかき立てられるので、暗闇に怯えた大昔など忘れてしまったかも知れません。
ところが、いつも明かりをつけ、音楽を流し、世間の話題に首をつっこみ、情報に目を光らせているのは、心のどこかに恐れがあるからではないでしょうか。失うことや忘れられること、知らないままでいることへの恐れは、無くなっていないのではないでしょうか。
ある番兵です。夜の警備に立ったのを隊長が見回ると、ぼんやりと夜空を見上げています。人が近づくのも気づかないようで、隊長がいきなり肩をたたき、「おい、いい度胸だな。私が敵ならどうだ」と声をかけると、満面の笑みで「あまりに星がきれいなものですから。」隊長もつられて天を仰ぎ、「そのとおりだ。重大な発見と報告をありがとう」と、臨機応変な番兵の職務を粋に報いました。
不安や心配や恐れは横っ腹から来るみたいです。でも、守りと平安と喜びは、天から来る。こう分かる人は幸いです。神様がいて下さるのにそれが分からないとは残念。今宵も夜空を見上げて、平安と感謝。