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みことばの贈り物

茅ヶ崎恵泉教会牧師 坐間 豊

みことばの贈り物(31)2010年2月

 二月の寒さは、春到来の先触れです。夜明けになる直前に闇が最も深くなるように。皆さまのご健康をお祈りしています。

 ちょうど一ヶ月前のお正月に詠んだ「百人一首」ですが、大きな勘違いを教えられました。紀貫之のうたの意味です:

「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」
 久しぶりに故郷へ戻り昔の恋人を見て、「昔も今も花の香りは変わらないのに、なつかしい人の心は前とは違ってしまった」と、淋しい気持ちを詠んだ歌と思っていました。それは間違いだそうです。

 紀貫之が長谷寺詣での常宿としていた宿坊をご無沙汰し、しばらくぶりに訪ねたら、その主人から恨みがましく言われました。そこで、詠んだ歌だそうです。「宿の主人の心がどう変わったか知りませんが、私が故郷とも思うこのなつかしい宿に咲く梅の花は、昔のままの匂いですなぁ。」この歌に返して主人は、「この梅を植えたのは私ですから、私の心も昔のままでございますょ」と、返歌を詠んだといいます。

 なかなか人の心は分からない、読めないなぁと思います。と共に、どこか思いのすれ違う相手に対して、ストレートに異義を申し立てずに、梅の変わらない香りに託して心を伝える奥ゆかしさは絶妙です。 イエス様と弟子との会話に、すれ違うやりとりがあります。

 イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、ご覧下さい。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」
 イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに、他の石の上に残ることはない。」
(新約・マルコによる福音書13章1〜2節)

 エルサレムの町の神殿を見た弟子たちとイエス様です。神殿は大理石を積み、高くそびえ、縦500メートル、横300メートルという、堅固で威厳ある壮麗な建物でした。田舎のガリラヤ地方から来て肝をつぶすほど驚き圧倒されたのももっともです。「素晴らしいですねぇ」と言いました。それに対してイエス様は、「本当だね、大したものだ」などとうなづいていません:
「一つの石もここで崩されずに、他の石の上に残ることはない。」ちょっと、分かりにくい言い方です。別のある訳では、「立派な神殿のこれらの石も、一つ残らず崩れ落ちるときが来る。」

 ストレートに言ったら、弟子たちの見とれる気持ちに水を差すことになります。それで、少し回りくどい言い方になったのでしょうか? ジェンカというゲームがあります。木片を格子に組んでは段に重ね、途中の木片を抜いて一番上に置き、格子を組み、さらに積み重ねていきます。これを繰り返すと下部に隙間が出来、やがてバランスを崩し、倒れます。一つの木片も他の木片の上に残ることはありません。

 要は、神殿が崩れることは、石が全部崩れることなのです。

 この回りくどい言い方(紀貫之の和歌での奥ゆかしさ)では、弟子たちに通じませんでした。この後、弟子たちは高価な香油をイエス様に惜しみなく注いだ女性に、「もったいない」と声を上げます。神殿の壮麗さに心奪われ、その偉容を貴いと思う気持ちと、同じです。

 イエス様が言いたかったのは、人間の手によるものは建物でも取り決めでもいずれ朽ち果てます。見た目だけ良いもの、人間が値を付けたものは、なおさら、その内実でとらえ直さなければはなりません。目に見えるものに惑わされ、自分の尺度に捕らわれて、真実を見る心を失わないように。大事なことを見分け、見抜き、見通してほしい ー こうイエス様の心を読みとることができます。

 「目に見える神殿」ではなく、「十字架の上で人の罪を負うイエス様ご自身」が、私たちが救われる確かなしるし、神様の愛、なのです。

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